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胸熱 万葉ラブソングの世界

「令和」のもとになった万葉集

平成から令和へ。年号がかわると風景まで新しくなったような気がしますね。
さて、年号にはもとになる古典があり、そこから二文字を選ぶのですが、令和の場合は日本最古の歌集「万葉集」から選ばれました。
平成までは、もとになる古典は中国のものだったのですが、令和は日本の古典からということで大きな話題になりました。
 
万葉集は、いまから1600年も前の5世紀はじめ、まだ日本という国名もなかった時代から、奈良時代の759年までの歌や詩が集められた歌集です。天皇・皇后から、遊女や兵士まで、様々な人がよんだ歌が4500首ものせられています。
歌のジャンルもいろいろ、恋の歌から季節の歌、こどもたちのことをよんだ歌、旅行の歌など、歌の長さも五七五七七という今の短歌の長さだけではなく、何行にもわたる長いものなど、ヴァリエーションに富んでいます。
 
万葉集には漢詩もあり、「令和」はそこからとられました。その漢詩、実は宴会のときに詠まれたものなんですよ。「春がきて、お月さまがきれいで(令月)、空気もやわらぎました(風和)。さあ、みんなで梅の花の歌をよみましょう!」という意味で、つぎに続く梅の花の和歌のイントロのようなものです。
宴会の場所は、今の福岡県太宰府の地。貴族たちが集まって宴会をしたときのもので、この漢詩のあとに、梅をテーマにした歌が書かれているのです。たとえば、下のような歌。

世の中は恋しげしゑやかくしあらば梅の花にもならましものを  巻五(八一九)

なんだか、わかるようなわからないような。昔のことばですから、仕方ないですよね。そこでちょっと、今の感じに直して訳してみました。

【意訳】
ああ! 生きてると 恋心がつぎつぎわいてくるよ
こんなに恋する苦しさを味わうくらいなら
いっそ、みんなからちやほやされる
梅の花になっちゃいたいよ

どうですか?梅の花をテーマによんでいるはずなのに、なぜか自分の恋心に結びつけている人がいますよ。万葉集の時代の人って情熱的なのですね。
宴会が終わったあとには、こんな歌もつくられました。

梅の花夢に語らくみやびたる花と我思ふ酒に浮べこそ   巻五(八五二)

【意訳】
梅の花が夢にでてきてさ 語り合ったのさ
僕は思うよ 梅の花ちゃん 君はかっこいい
酒に浮かべて飲んじゃいたいってね

いかがですか。やさしい色のカクテルに、はなびらが浮かんでいるようなイメージがわいてきませんか。さきほどの宴会で、実際にお酒に梅のはなびらをうかべて飲んだことを思い出しているのかもしれません。おしゃれなパーティーには目がないのは、万葉人も現代人も同じですね。
現代の私たちに通じる心でよまれた歌がたくさんある万葉集、どんな歌があるのか、少しのぞいてみましょう。

万葉ラブソングはけっこう積極的

万葉集にはさまざまなシーンの歌がおさめられていますが、なかでも興味深いのは恋の歌。この時代の「こひ(恋)」っていうのは、いない人を乞うということ。だから恋人をこちらにひきよせるような、積極的な歌が多いのです。

ほととぎすいたくな鳴きそ独り居ていの寝らえぬに聞けば苦しも 巻八(一四八四)

【意訳】
夜鳴く鳥のほととぎす
そんなに鳴かないで
ひとりであの人のことを思って
私眠れないの
あなたが女の子を呼ぶ歌を聞くと
苦しくなるの

これは恋歌をたくさん詠んだ坂上娘子(さかのうえのいらつめ)という宮廷歌人の歌。いまでいうシンガーソングライター的存在かもしれません。
これはどうでしょう。

去年(こぞ)の春逢へりし君に恋ひにてし桜の花は迎へけらしも 巻八(一四三〇)

【意訳】
去年の春に逢ったんだよね
それからずっと恋しているんだ
そしてまた春がきて
桜は君を迎えるように咲いたよ

若宮年魚麿(わかみやのあゆまろ)という人の歌です。ちょっと、フォークソングっぽいかもしれません。作者の名前も芸名みたいですね!
これらの歌は数ある恋の歌のほんの一例。万葉集はいろいろな人のいろいろな歌が収められていますから、きっとあなたの気持ちにぴったりの歌がみつかりますよ。

皇子さまの素直な恋のエピソード

万葉集の時代、舎人皇子(とねりのみこ)という皇子さまがいました。皇子様は舎人娘子(とねりのいらつめ)に恋をしました。その時代は恋をすると歌で気持ちを伝えます。皇子様はこんな歌を詠みました。

ますらをや片恋せむと嘆けどもしこのますらをなほ恋ひにけり 巻二(一一七)

【意訳】
俺は男だぜって
わざとマッチョぶってみた
片思いなんて情けねえ
でもね、ほんとのこというと
俺はダメ男だからやっぱり片思いしちゃうんだ

「ますらを」というのは、「大夫」と書く立派な男性のこと。でも自分は「しこ(醜)」と言って、自虐しています。とっても素直だと思いませんか。それに答えて舎人娘子は、こんな歌をよみました。

嘆きつつますらをのこの恋ふれこそわが髪結のひぢてぬれけれ 巻二(一一八)

【意訳】
片思いを嘆きながら
男の人が恋をする
彼に恋されるから
私の髪かざりが
ぬれているのね

これにはちょっと解説がいります。この時代、女性が誰かに恋されると、髪飾りがぬれるっていう言い伝えがあったのです。舎人娘子は、「自分の髪飾りがぬれています」ということで、舎人皇子に恋されていることをみとめたのです。これで、カップル成立ですね。
残念ながら、このあと二人がどうなったかわかりません。でもこんなに素直な二人ですから、きっとハッピーエンドだったと信じたいです。

日本一有名な三角関係?

舎人皇子のような純な恋ばかりではありません。額田王(ぬかたのおおきみ)という人がいました。王といっても女性です。しかもこの方、二人の皇子さまに愛されてしまったのです。宮廷のピクニックで二人のうち一人の皇子様が袖を振っていました。額田王はこんな歌を歌いました。

あかねさす紫野ゆきしめ野ゆき野守は見ずや君が袖振る  巻一(二〇)

【意訳】
美しく赤く染まっている野原、
紫野、しめ野、はるか遠くに続く野原
野を守ってる人は見てないかしら
私を守っている人は見てないかしら
あなたが私に袖を振って、
こっちに来いっていうのを

すると、皇子様はこう返しました。

紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも  巻一(二一)

【意訳】
紫草がほんのり君を染めている
君が憎いだって? だれがそんなことを
君が人妻だからこそ 僕は君が恋しいのだ

なんとあけっぴろげに恋の歌をうたっているのでしょう!もう一人の皇子さまも負けてはいません。畝傍山、香具山、耳成山の大和三山になぞらえてこんな歌をよんでいます。

香具山は畝傍ををしと耳成と相あらそいき 神代よりかくにあるらし いにしへもしかにあれこそ うつせみも妻をあらそふらしき  巻一(一三)

【意訳】
香具山は畝傍山を恋しいと耳成山と争ったんだ
神様の時代、大昔の世、その頃からそうだったんだよ
だから今も 妻を争うんだ

すごくダイナミックですね。二人の男性に愛される情熱的な女性。わたしのまわりにもいるいるって思いませんか。この三人の恋は、現代の小説や漫画にもなっています。それを読んで、万葉集にはまった人もいますよ。

千数百年も昔の人も、現代のわたしたちも、人を恋う心にはかわりありません。万葉集の時代の人々は、私たちがカラオケでラブソングを歌うように、和歌をつくっていました。それらの歌は他の人々にも伝わり、広まっていきました。

万葉集には、当時の人々にもてはやされた歌の数々がつまっています。恋だけではありません。自然や、こどもへの愛や、国を守る心や、現代のわたしたちが感じるそのままの心がそこにあります。
 
古典を読むというのは、昔の人の心にふれること。新年号令和をきっかけに、万葉集はじめ、いろいろな古典に気軽に近づいてみてはいかがでしょう。きっと豊かな心になれますよ。

※参考文献 『日本古典文学大系 萬葉集一、同二』『国史大辞典』『日本国語大辞典』
※万葉集の歌の読みについては各文献を参考にし、筆者自身の解釈で漢字をあてました。意訳については筆者のオリジナルです。