若くて可愛い女は得だ。
そうだった過去の私と、そうではなくなった今の私が実感している。
得をするのは大人になってからの話ではない。子供の頃から顕著に出てくる。
小学校、いや幼稚園の頃からそれは出てくる。
男女が同じ空間で過ごすうえで、それは当然の事かもしれない。
性差が、本能を刺激するのだろう。
今の職場に転職して二年。
仕事には随分と慣れた。人間関係にも。
おおむね皆、良い人たちだ。女性が特に。
年齢が近いからかもしれないし、シングルマザーが多いからかもしれない。
四十数年生きてくると、皆何かしらの苦労を経験している。
苦労が多いと、自然と人に優しくなれたりする。
自分の苦しみを倍にして人に当たる者もいるが、今の職場にそんな人はいない。
今のところは。
そう、今のところは、だ。
なぜなら、一人だけ目立って輝いている子がいて、その眩しさに、みんな段々と耐えられなくなってきているのだ。私を含めて。
子供の頃、太陽を直視してはいけないと教わった。目を傷めてしまうからと。
確かに、太陽を直視しようとすると、強すぎる光に目を細めてしまう。
長時間、見つめることは無理だ。
若くて可愛い女は、それに近い。
眩し過ぎて、直視できない。
その眩しさが疎ましい。
発する光の強さに無自覚なことが疎ましい。
真夏の太陽の、加減を知らない暑さが許せない。
もちろん、太陽には何の罪もない。
彼女にも同じことが言える。
若くて、ひと際可愛いことは、彼女が持って生まれた特性。
太陽にも彼女にも、何の落ち度もない。
彼女は天真爛漫によく笑い、ある程度のレベルで仕事をしている。
決してさぼってはいない。ミスも少ない方だ。
だが、こうして考えている私の、彼女への評価は低めだ。
それは多分に私情が入っている。正当に彼女を評価できないでいる。
それはただ単に、彼女が若くて可愛いからだ。
それによって、圧倒的に得をしている事を知っているからだ。
他の人よりも敏感にそれが分かるからだ。
なぜなら、かつての私がそうだったから。
いま私は四十七歳。
肌の張りはなくなり、シワも出てきた。
かつてはヘアカラーだった髪も、今は白髪染めが欠かせない。
スタイルは崩れて、スカートはゴムだ。
鏡を見ることが、随分と減った。
鏡には、今の私が容赦なくうつる。
『ミス○○』と言われた私はどこへいったのか?
かつての美貌を語ったら、妄想なのかと失笑されてしまいそうだ。
でも、過去の私は本当に美しかった。
隣でパソコンをのんびり叩いている彼女より、はるかに私の方が美しかった。
そのおかげで、男たちからちやほやされて、甘やかされて生きてきた。
思えば、幼稚園の頃からそうだった。
私が泣けば、男の子たちが飛んできて慰めてくれた。
欲しいと言えば、人が持っているおもちゃでも取ってきてくれた。
小学生になると、もっと分かりやすくなった。
できない事は泣けばしなくて良かったし、美味しい給食は人より多く口にできた。
誰かと一緒に帰ったら、その事で男子たちが喧嘩をし、右の手と左の手が、別々の男子に繋がれた。
中学・高校では、恋愛の色が濃くなり、それで困ることが多くなった。
「ああ、自分は得をしている」
そう自覚し出したのは、社会人になってから。
給料は、仕事をしての対価だ。
しかし私は、人の半分ほどしか働いてなかったと思う。
もちろん当時はそんなつもりはなく、サボってもいなかったが、与えられた仕事量が明らかに同僚たちとは違っていた。簡単だったり、少なかったり。
割り振りをするのは上司。男たち。
あからさまに差をつけて、男たちは私の気を引こうとしていた。
私は何も考えずに、ただ小首を傾げて、
「ウフフ」
と笑っていればよかった。
それで許されていた。男たちからは。
そう、男たちにだけそれが通用しているのだと知るのが私は遅すぎた。
女の子、女子、女性からどう見られているか、どう思われているのか。
そのことを私は考えなかった。
太陽が輝き眩しいのは当然の事だと思っていた。
その眩しさが、見る者によっては目を傷めたり、高温に迷惑を感じさせてしまうという事に思い至らなかった。
私が男たちからちやほやされる事に、苛立ちを感じている人がいる事に気づけなかった。
私に振られる仕事量が少ない分、誰かがその分の仕事量を被っている事に考えが至らなかった。
やっと、そのことに思いが及んだきっかけは、前の職場の後輩から、
「ここで一番仲の良い人は誰ですか?」
と聞かれた事だ。
前の職場には十四年勤めていた。
居心地の良い職場で、人間関係も良好だったから退職者は少なく、必然的にみんなとは長く一緒に働いていた。
その中で、私が一番仲の良い人は誰か。
その問いに私はさっと答えられなかった。
求められている答えは間違いなく女性の名前。それが出なかった。
そこで初めて私は考え込んでしまった。
私には、仲の良い友達がいないという事にやっと気がついた。
それは職場に限ったことではない。
プライベートでも、私には友達と呼べる女性がいないのだ。
よく考えてみれば、子供の頃からずっとそうだった。
私の周りには常に男の子たちがいて、女の子たちは居なかった。
ずっと共学だったのに、女の子たちと遊んだ事がない。
大人になってからも、出掛けるのはいつも男性。女性と連れだって出掛けた事がない。
そもそも、誘われた事がない。誰からも、どこにも。
もしかして私は、女たちには嫌われていたのか?
そう気づいたとき、寂しいとは思った。
私が一体女たちに何をしたというのか?
意地悪をした事もないし、悪口を言ったこともない。
なのに、私には女友達が一人もいない。
理不尽だなと思った。
私なりに理由を探した。
思い当たるのは一つだけ。私が男たちに可愛がられるから。
でもそれは当然だし、仕方ない事だと思っていた。
同じように可愛がられたいなら、そうなるように振舞えば良いと思っていた。
いつも愛想よく、女らしい態度と笑顔。そうしないから、冷たくされるのだと。
それが『若くて可愛い』ゆえの事であると実感したのは、三十代後半になってからだ。
自分でも遅すぎたと思う。
男たちの庇護のもとで甘くぬくぬくと生きてきた私。
若さが無くなった分、外見の劣化が進んだ。
太陽は、眩しいほどに輝くからその存在が分かるのであって、輝きのない太陽は、もはや太陽ではない。
曇天の下では、どこに太陽があるのか分からない。
輝けなくなった私に、甘く接する男はいなくなった。
いや、ただの人として扱われるようになっただけなのだが、私にとっては奈落に落ちるような気分だった。
「こんなはずでは!」
そんな思いが渦巻いた。
そんな私を誰も擁護しなかった。
当然の報いとして、さらなる底へ突き落とした。
同僚が、後輩が、女たちが。
十四年勤めた職場を追われた私は、毎日毎日女たちを恨んだ。
私に優しくしない、仲良くなろうとしない、女たちを憎んだ。
これまでの日々、女たちに悪意を持った事はない。
意地悪をしたこともない。
仲良くしたいと思っていた。
確かに私から誘いはしなかったが、女たちも私を誘ってこなかったではないか。
仲良くしないくせに、背中を押して突き落とす腕はあるのか。
女は怖い。そう思った。
四十歳を過ぎて、今さらながらにそう思った。
今やっと、私は私の立ち位置を自覚した。
四十七歳のおばさん。
若くもなく、可愛くもないおばさん。
同年代の同僚たちは私を含めて、男性たちからおばさん集団として扱われている。
「眼鏡のおばさん」「小太りおばさん」「ボブおばさん」
名前を言わなくても、それで誰の事か男たちにはわかるのだ。
私の事はきっと、体形と髪型から、
「小結おばさん」
とでも呼んでいるのだろう。
その中で、彼女だけが名前で呼ばれる。
『ちゃん』付けで呼ばれる。
そして彼女は男たちの期待に応えるように、高く澄んだ声で返事する。
かつての私のように、小首を傾げて、笑顔を添えて。
その姿に男たちは満足し、彼女はますます可愛がられる。
圧倒的に少ない仕事量にも関わらず、一番高い評価をもらい、一番良い査定ゆえ、密かに私たちより高い給料をもらっている。
知っている。
私は知っている。
いや、感じ取れる。かつての私がそうだったから。
彼女を見ていればすぐに分かる。
分かるから、彼女が妬ましい。
その存在が疎ましい。
眩し過ぎる太陽が、これほどまでに目障りだとは。
かつての私が、周りの女たちからどう見られていたか、いまやっと分かる。
彼女を見る私の目が、意識が、それを教える。
こんな風に思われていたのか。
仲の良い女友達など、できるはずもない。
こんな思いを抱く方が悪いのか?
こんな思いをさせる方が悪いのか?
強く輝く太陽が悪いわけではないが、無自覚が人を苦しめると、太陽は知るべきだ。
真夏の容赦ない暑さがどれほど辛いか、配慮するべきだ。
いや、太陽は無自覚でも良いのかもしれない。
永遠にその輝きを維持できるのなら、どう思われようと構わないだろう。
だが、私にも彼女にも永遠の輝きはない。
輝きが失われた時、孤独と人間不信が利子をつけてやってくるのだ。
享受してきたものが大きければ大きいほど、負の利息も大きくなる。
今朝もまた、化粧室で彼女と一緒になった。
小首を傾げて、澄んだ声で私に挨拶をしてくる。
張りのある肌に化粧が良く映える。
並んで鏡にうつる私の、劣化した肌。
化粧が毛穴に埋もれているのがよく分かる。並ぶと対比がより辛い。
鏡にうつる自分を見ないように目を伏せて、彼女の横顔をチラと見て、型通りの挨拶を返す。
彼女と親しくなろうなんて微塵も思わない。
早くその輝きがなくなれば良いのにと思う。
私がそんな風に思っているなんて、彼女は全く気付かない。
女たちからそう思われているなんて、彼女は全く気付けない。
若くて可愛い今は、そんなことに気が回らない。
気づくのは、ずっと先。
気づいた時には遅いのだと、私は知っているけれど、それを教える気などない。
若くて可愛い、一握りの女だけが享受できる甘い思いを味わっているのだから、その後の辛酸も受けねばならない。
私と同じように。
プロフィール:
リオカ
百貨店や映画館勤務を経て、現在はコールセンター受付業務。
女の園で長く勤めているため、女同士の陰湿な感情に敏感。
「出る杭は打たれる」を痛感し、今はひっそりと生息中。
中学生の頃から日記を書く習慣があり、独り語り的な文章を書くのが好き。
いつか作家に、という中二病的妄想を捨てきれずにいる。