(前編のあらすじ)
夫とのセックスレスに悩み、離婚を決意した由里子。通っていた美容室の若いイケメン美容師の逢瀬の約束を取り付けたが、風俗街としても知られる町での待ち合わせに恐れをなした彼に続けてドタキャンされ、念願のセカンドバージン喪失は果たせず。次に狙いをつけた相手は、高校時代と大学時代に付き合っていた元彼たちだった。
前編はこちら→ベッドの百物語ーロストセカンドバージン・前編ー
「ねぇ、聞いて!彼に『ショック…。約束の日は生理と重なってしまいそう』とメールしたら、『僕はセックスが目的で会いたいわけじゃないよ。だけど、ホテルの部屋はダブルで予約しました』って返事が来たの!やったわ!彼は絶対に私を抱くつもりよ!」
私の部屋に駆け込んできた由里子は、全身から喜びを発していた。
私は衝撃をどうにか胸に押し込めて黙った。
初めてのデートを前に生理の報告をして、セックスへの気合いを男にアピールするなど信じられないほど愚かな行為だったが、自分が全てを台無しにしていることに本人だけが気づいていない。
時は遡り、美容師にフラれて傷心の由里子は郷里へと向かった。
高校時代の元彼の両親は地元で商店を経営していたので、もしも彼が家業を継いでいるとすればそこに居るはずだと目星をつけ、偶然を装い店を訪ねたのだ。
地方都市で実家と家業を引き継ぎ、地元の女性と平穏な家庭を築いている彼にとって、都会から来た元カノとの再会はドラマティックな出来事であったはずだ。
胸と下心が大いに弾み、下半身に血の巡りが良くなったことは、彼が由里子との再会から1ヶ月も経たないうちに上京の予定を立てたことから伺える。
しかし、由里子には偶然の再会は演出できても、恋心を再燃させる駆け引きはできなかった。なぜなら彼女の頭の中では、自分は駆け引きなど必要としないほど素のままで魅力的な女のはずだったからだ。
「話なら会った時に少しずつすればいいのだから、元彼からの質問には『今度会った時にね』とはぐらかす方がいい。彼の知りたい気持ちをすっかり満足させてしまったら、興味を失うのも早いはず」と私は主張したが、由里子は笑い飛ばし、連日彼に長文メールを送って自分語りするのをやめようとはしなかった。
そればかりか、食事を共にしようという元彼からの誘いに対し、「レストランよりホテルの部屋で会いたい」と願い出たのだ。
一度きりの情事ではなく関係の継続を望むのであれば、どんなに想いが募っていようとも初回のデートでは食事をしたら帰るべきだ。
「次こそは」という期待があればこそ、彼はどうにかして理由と時間を作って再度上京してくるに違いなかったのに、由里子は二度目のデートの可能性を自ら潰してしまった。
結局、元彼の方で顔を合わすなりホテルの部屋に直行するような無粋な真似はできないとレストランに予約を入れたのだが、それを尊重されたと感謝するのではなく、セックスの申し出をかわされたと感じた由里子は、またしてもチャンスを逃してしまうのではないかと気を揉んだ。
だからこそ生理の話を持ち出して彼の反応を確かめ、セックスが確約されたことでようやく安堵したという訳だった。
ロストセカンドバージンの願いを叶えた翌朝、由里子は喜びに震えむせび泣いていた。
「彼と結ばれるためにこの苦しい10年があったの。美容師なんかとベッドへ行かなくてよかったわ。相手が彼で、本当によかった。これは運命なのよ」
由里子はうっとりとした様子で、元彼がどれほど優しかったか、そしてこれから彼がどんなに自分に夢中になるかを語り続けた。私は余計な口を挟まなかったが、彼女の恋心がこれから容赦無く傷ついていくことを思うと胸が痛んだ。
彼は高校時代には最後の一線を越えることなく別れた元カノと、青春時代にヤリ残した未練を解消したのだ。もう二度と会おうとしないだろうことが私には分かっていた。
彼にとって由里子はこれ以上知るべきところのない女になったのだから。
その後の展開は、果たして私の予想通りだった。
メールでの何気ないやりとりには時おり応じるものの、一向に愛を囁かず、次の約束もしようとしない男の態度に由里子は焦(じ)れた。
元彼の立場からすれば当たり前のことだ。彼には家庭があり、地方都市で小さな商売をしている身で頻繁に東京まで来られるわけがない。
家族に怪しまれずにすむ理由もなければ、資金もないだろう。由里子との再会のために高級レストランやシティホテルを予約したのは、精一杯の見栄であり男気だったのだ。一度きりの思い出作りと思えばこそ使えた金である。
私がさりげなくそう指摘すると、由里子は「彼は本心では私に会いたくて仕方がないのだけれど、前回と同じグレードのデートを用意できないことが恥ずかしくて来られないのね」と解釈し、それならばと自分が地元行きのチケットを取り、デートはドライブで満足だし、休憩はラブホテルで構わないと彼に伝えた。
元彼は忙しいからと逃げを打っているのに、「1時間でも構わないから」と強引に押しかけようとする由里子にさぞかし困ったことだろう。結局由里子は地元へと向かう特急列車の中で電話を受け、「ごめん。会えない。迷惑だから来ないで欲しい」と遂にはっきり拒絶され、呆然としたまま誰も迎えに来ない目的地まで揺られるしかなかった。
人間は学習する生き物だ。
しかし、己の間違いを認めて省みることがなければ、延々と同じ過ちが繰り返され、人生は歯車が狂っていく。
由里子は学習しようとしなかった。彼女にとっては、自分が悪いのではなく自分の魅力を理解しない男たちが悪いのだ。自分がおかしいのではなく、自分が思い描いた通りのことが実現しない現実の方がおかしいのだった。
自分の正しさと魅力を確かめるため、次はインターネットを駆使して大学時代の元彼の所在を探し出し連絡をつけたのだが、彼は由里子に会おうとしなかった。
すでに妻子ある身だから、ではない。
「彼は私への愛を忘れていないはず。私を本当に理解してくれるのは彼しかいないし、彼もきっとこれまでの空白を埋めたがっている」と勝手に思い込んだ由里子が、彼と別れてからの自分の人生について、壮大な女の一代記を書き綴って彼に送りつけたからだ。
スクロールしてもスクロールしても読み終われない由里子からの超長文メールに、異常を感じて肝を冷やした元彼の姿が眼に浮かぶようだった。
思うように男たちに愛されず、相変わらずセックスにも飢えていた由里子は、身近な男や過去の男たちを諦めると新しい出会いを求めるようになったのだが、懲りることなく同じ失敗を繰り返した。
由里子の自信満々な態度に圧倒され、彼女の自己主張を以前は素直に信じていた私も、流石におかしいということに気づかないわけにはいかなかった。由里子は自分で言うほど魅力的な女ではないし、モテもしない。
失敗したのなら現実を直視し、経験から学び、次からはアプローチを変えればいいだけのことなのに、頑なに自分を押し通そうとする彼女に私は苛立ちを覚え始めた。
「あなたの考え方ややり方はちょっとおかしいんじゃないのかな。ずっと間近で見てきたけれど、あなたの言うようなことはちっとも起こらないじゃない」
遂にそうした疑問を口にし始めた私に対し、彼女は「あなたは私に嫉妬しているのね。私が美しくて、能力が高いことが羨ましいんだわ」と言い放ち、私は目を見開いた。
結局私と由里子は絶縁することになるのだが、私は長らく由里子のことが自分の中で未消化のままだった。
あれほど、「人生で最高の親友だ」と言われていたのに、ほんの少しの疑問と忠言を口にしただけで、由里子は激怒し、絶交されたのだ。全く訳が分からなかった。
由里子に対する疑問が解決したのは、奇しくもネットウォッチングのおかげだ。
彼女との絶交から数年の後、私はキラキラ起業や、子宮系スリピチュアル、ブロガー界隈の観察を始め、それらの世界でカリスマや教祖と言われる人たちの言動に既視感があることに気がついた。
自信満々な態度、強烈な自己顕示欲、自分の能力と魅力の過大評価、高慢さ、現実を正しく認識できない認知の歪み、共感力の欠如、絶え間ない賞賛の要求、批判に対する過剰反応。
そう、彼らは自己愛性パーソナリティ障害という心の病の患者たちなのだった。ほぼ由里子の特徴とも重なっている。
奇妙に思えた由里子の言動は、性格や個性ではなく病気の症状だったのだ。恐らくは死ぬまで自覚することなく、よって治療を受けることもなく、治癒が見込めない病の…。
自己愛性パーソナリティ障害を患う者は、重篤であればあるほど詐欺まがいの世界では活躍する傾向にある。
けれど、その活躍も一時期のもので、決して長続きはしない。
私は今日もネットを見ながら、由里子にそっくりな者たち見つけ、眺める。私は由里子のそばにいた経験から、彼らの実態を知っている。
そして、心を病んだ者たちの裏表を暴きながら、時に私は由里子を思い、少し悲しい気持ちになるのだ。