集英社『週刊ヤングジャンプ』にて2006年に連載が開始されてから、2012年にテレビアニメが放送、2019年には実写映画が公開された、原泰久による歴史漫画『キングダム』。
まさに破竹の勢いで人々を魅了する『キングダム』の魅力は一体どこにあるのでしょうか。
今回は、他の歴史漫画では見られない、『キングダム』だけが持つその魅力を3つご紹介します。
嫌われ国家である秦を異なる視点から描く
中国史を題材とした漫画といえば、多くの人は横山光輝『三国志』や『項羽と劉邦』を思い浮かべるのではないでしょうか。
中には藤崎竜『封神演義』の名を挙げる人もいるかもしれません。
これらの漫画の舞台として選ばれている時代は、周代(『封神演義』)、漢代(『項羽と劉邦』)、三国時代(『三国志』)。
その他、中国史を描く漫画はこれら3つの時代を描くものがほとんどです。
ここでふと気が付いた人もいるでしょう。
そう、周代と漢代の間にあるはずの、春秋戦国時代から秦代にかけての時代、特に、統一王朝である秦が誕生した経緯を描いた漫画が見当たりません。
そのような漫画事情に一石を投じたのが、原泰久『キングダム』だったのです。
春秋戦国時代という、混乱期を秦が平らげるさまを鮮烈に描く『キングダム』。
これは、歴史漫画史に残る快挙であると言えるでしょう。
しかし、なぜ『キングダム』以前に秦を主役にした漫画が描かれなかったのでしょうか。
その答えは、秦王朝の歴史的評価の低さにあります。
秦は、法によって国を統治する法家思想を重んじた王朝として有名ですが、それと同時に、主君の徳によって国を治める思想である儒教を弾圧した王朝としても有名です。
儒教は、春秋戦国時代に孔子によって生み出されて以降、清代に至るまで中国で最も大切な教えであるとして、知識人を中心に学ばれてきました。
その儒教の開祖である孔子は、常々周王朝こそが理想の王朝であると説いていたのですが、その周王朝を実質的に滅ぼした国こそが秦でした。
そのため、秦は正義の国である周を滅ぼした国として、多くの知識人に疎まれてしまいます。
秦は、多くの知識人が傾倒する儒教の力を恐れ、儒教の書物や儒教を学ぶ学者たちを生き埋めにする「焚書坑儒」を強行。
結果、儒教は一時滅亡の危機に瀕します。
ところが、高祖・劉邦が秦を滅ぼして漢王朝を建ててからは、鳴りを潜めていた学者たちが再び儒教を喧伝しはじめ、ついに儒教は漢王朝の国教となりました。
400年も続いた漢王朝が重んじた儒教は素晴らしいものであるとして、隋代には科挙の必修科目として選ばれ、宋明代には理学、清代には考証学として発展。
逆に、儒教を軽んじた秦朝は悪の王朝と評され、それどころか儒教を否定したからという理由で、正統な王朝としては認められないという論まで飛び出す始末でした。
これほどまでの嫌われ国家である秦に、魅力を感じる人はやはりいなかったのでしょう。
秦が漫画に描かれたとしても、落ち目の様子であったり敵役としてであったりで、主役として描かれることはありませんでした。
ところが、『キングダム』では嫌われ国家であるはずの秦を、秦が掲げる正義の元、大変魅力的な国として描かれています。
今まで誰もが見向きもしなかった、秦の信念を鮮明に描いている…これこそが、『キングダム』が他の歴史漫画と一線を画す理由の1つとして挙げられるでしょう。
史書の上ではほぼいいとこなしの人物を魅力的な主人公に
『キングダム』の主人公である信のモデルとなった人物は「李信」という秦の将軍です。
李信については、『史記』白起王翦列伝に、次のようなエピソードが残されています。
秦の将軍である李信は、若くして勇敢であり、数千の兵で燕の太子である丹を破り、始皇帝からその賢さと武勇を評価されていた。
そこで始皇帝は李信に「私は荊(楚)を攻めとりたいのだが、どれほどの人数の兵を用意すれば良いか」と尋ねた。
すると李信は「20万人足らずで十分です」と答えた。
続いて始皇帝は、王翦にも同じことを問うたところ、王翦は「60万人いないと成し遂げられません」と答えた。
始皇帝は「王翦将軍は年老いて怖気づいているのだろう。
それに比べて李信将軍は勢いがあって勇敢だ。
李信将軍の言葉が正しい」と言った。
そこで始皇帝は、李信と蒙恬に20万の兵を与えて荊(楚)を攻めとりに向かわせた。
王翦は提言を用いてもらえなかったため、病を理由に故郷の頻陽に帰った。
李信は平与を攻め、蒙恬は寝を攻めて、荊(楚)軍を撃破。更に信は鄢郢を攻め破り、兵を引き連れて、西で待つ蒙恬と合流しに向かった。
しかし、荊(楚)の軍勢は三日三晩眠ることなく李信軍の後をつけ、今度は李信軍を大破した。
この知らせを聞いた始皇帝は激怒して、自ら王翦がいる頻陽に赴き、
王翦に「私は王翦将軍の計略を用いず、果たして李信は秦軍を辱めた。
荊(楚)軍は日に日にこちらに向かってきている。
王翦将軍は病気とはいえ、私を見捨てるのか。」と謝罪した。
その後、始皇帝の謝罪を受け入れた王翦によって、楚を攻めとることがようやく叶うわけですが、ご覧の通り李信という人物は、王翦に失敗の尻拭いをしてもらった将軍であり、言ってしまえば王翦の引き立て役に過ぎません。
李信はその後、王翦の息子である王賁と共に、燕と斉という2つの大国を平らげていることが記されていますが、これも王翦の息子の活躍を記すついでといった感が否めません。
なぜ作者である原泰久氏は、そのようなあまり魅力的に見えない人物を主人公に選んだのでしょうか。
作者は、「これほどの失敗をしたのにもかかわらず、李信が処刑されず中華統一のときまで活躍できたのは、李信と始皇帝の間に主従以上の特別な関係があったからでは」と考えたのだそうです。
結果、始皇帝のみならず、多くの読者の心をも惹きつける主人公・信が誕生。
『史記』では引き立て役に過ぎなかった若者が、強くなろうともがく姿に多くの読者が胸を打たれます。
その他、同じく史書の上では名前しか書かれていないような人物も、作者の手にかかれば立体的で魅力的な人物に。
それどころか、史書に描かれない、普通の漫画ではセリフさえ当てられないような雑兵たちすらも、人間味あふれる印象深いキャラクターとして描かれています。
これからもどんな魅力的な人物が登場するのか、あの人物はどのように描かれるのか…そのようなことを考えると、まだまだキングダムから目が離せません。
従来の歴史的評価を覆す始皇帝の人物像
もう1人の主人公であり、後に始皇帝として名を馳せる嬴政。
嬴政は中華統一はもちろんのこと、漢字の統一や万里の長城の修築などを成し遂げたことで有名ですが、先に述べた焚書坑儒をはじめとする苛烈な政策により、暗君と評されることも少なくありません。
また、宦官の言葉に惑わされたり、不老不死を追い求めたりといった情けない姿が語り継がれており、やはり魅力的な皇帝とは言い難い存在です。
しかし、『キングダム』はそのような始皇帝像を、ガラリと変えてくれます。
『キングダム』で描かれる始皇帝は、誰よりも平和を願う若き王。
中華統一こそが平和への近道だと考え、ただひたすらに邁進します。
そのような始皇帝の姿に胸打たれる読者は少なくありません。
しかし、それと同時に、始皇帝が今後打ち立てるであろう苛烈な政策や佞臣にかどわかされる姿をどのように描くのかと、ハラハラドキドキさせられる読者も多いのではないでしょうか。
『キングダム』における中華統一までの道のりはまだまだ遠いですが、ぜひとも始皇帝の最期のときまで描き切ってほしいものです。