「自分がやりたいことがわからない」という人がいます。
親が大学行けっていうから行った方がいいのかな。
周りが就職するから、自分も就職しよう
みんなが化粧するなら、した方がいいのかな。
みんなが感動するのなら、これは感動しなくちゃいけないんだろうな。
「周りがどう思うか」を気にし続けていると、だんだん自分の輪郭がぼやけていくんですよね。
日本の教育では「周りに合わせて」平均的な人材になることが奨励されます。
意見を聞かれることは少なく、周りに合わせて行動するように躾けられる。そのためのレールもしっかり整っていて、ほぼ何も考えなくても、大人になって就職することができちゃいます。
「みんな」「他人」に合わせているうちに、だんだん自分が何を好きで何を嫌いかわからなくなる人がいます。
こうして「平均的」に何でもこなせるけれど、突出した個性のない人がたくさん生まれます。
私はマレーシアに住んでますが、日本からマレーシアに来るお子さんを見てると「特に意見はありません。みんなと同じでいいです」という人がいっぱいいます。
で、これが悪いのか、まずはそこからお話ししましょう。
好きなものが見つからないってダメなこと?
結論から言えば、好きなものがないままで良い人もたくさんいます。
日本の大企業の多くって、まっさらな新人を一気に研修し、適正によって配属先を決めます。会社員はこうして一生、いろんなポジションをぐるぐるして、終わることが多いです。
平均的に、総務も経理も営業も企画も、なんでもこなせたりする人材がいるわけです。
それで本人がハッピーなら、なんの問題もないんですよね。日本企業はダメだダメだと言われますが、なにも今日明日にすぐ潰れるわけじゃありません。
「どんな仕事が来るかわからない、それがサラリーマンの醍醐味です!」と言っている友人もいて、これはこれでなんだかカッコいいなと思いました。
一方で、家庭や環境などの事情で、「周りが望むこと」をせざるを得ない場合もあるでしょう。家業を継いだり、家族の転勤に伴って専業主婦になったりするケースですね。私の友人にいつも「置かれた場所で咲くようにしている」という人がいますが、それでオッケーなら問題ないのです。
同調圧力は悪者みたいに言われますが、流れに身をまかせる人生だってアリなのです。
実はフリーになると、そういうものが一切なくなるので、逆に不安になる人もいます。
「上司にあれこれ指示してもらった方が動きやすいのに」って上司の許可や指示を求めちゃう人もいます。自分のやることを他人に決めてもらった方がいいタイプって存在するんですね。
なんか違うなって人はどうするか
しかし、そういう人生に対して、「なんか違うな」と思う人もいます。
自分が何をしたいのか、明確な人は良いのですが、これがわからないと困ります。
「個性を出せ。自分で考えろ。お前にしかない価値はなんだ」と言われても混乱してしまいます。それまで考えたことがなければ、なおさらですよね。
では、日本で大学まで来て「平均的な人材」になってしまったら、どうしたらいいのでしょうか。
実は私もそうで、ただの平均的な文系の学生として大学に入りました。
大学での毎日は、自分が何者でもないような、いつも取り替えられそうな、不安の中で過ぎて行きました。大学の専門とはいえ、大教室の講義を聞いて、教科書を読むくらい。大した知識を身につけないことは、自分がよーくわかっています。英語もコンピュータも全くできない状態で社会に出ました。
いつも、自分が「何者でもない」ことに対してコンプレックスがありました。
就職すると、使い捨ての駒とはよく言ったもので、本当に自分の価値は感じられません。
だってまあ、事務員の仕事って、誰がやっても結果は同じなんですよね。
間違えなければ良いんですよ。だったら、機械がやったらいいじゃん、と真面目に思ってました。
こういうときってホントに辛い。拘束時間は長いけれど、頭の中は暇なので、華やかな部署の人を思い浮かべては、「いいなー」と思ってましたね。ハッキリ言って「働くオフィスがかっこいい」とか「出張で海外を飛びまわれるから」とか、イメージだけで羨ましがってたと思います。もうね、一生幸せにはなれないような、苦しい毎日でした。
そういう毎日に穴を開けるのに、私がとったのは、自分が好きなことをいくつか選び、
ほんのすこし、他人と違う「習慣」を始めることでした。
私の場合、それは同僚たちから離れて一人で昼食に行き、そこでワープロに向かって文章を書くことだったり、会社で一人一台貸与されたパソコンを使ってツールを作ることだったり、
仕事帰りにシナリオライターの養成教室に通ったりすることでした。
こうして、すこしずつ、小さな習慣を取り入れていき、自分の好き・嫌いを確かめる作業が始まりました。
すると、少しずつわかってきます。
ーパソコンのプログラミングは好きかもしれないな
ーワープロで文章を書くのは飽きないな
ーシナリオは楽しいけどドラマは嫌いだな
などと、自分の適性がすこしずつ見えてきます。
世界の子どもたちの教育はそうなってきている
実は、世界の子どもたちの教育、いまそちらに大きくシフトしています。
英国式や米国式のインターナショナル・スクールでは、個性が尊重され、自分の意見を言うので、学校にいればいるほど、子供は自分が何が好きなのかに自覚的になっていくケースが多いです。
批判的思考を教えるので、自分なりの仮説を立て、自分で考える。
そして、周りに合わせるより、「あなたはどう思うの」と意見を出すことを求められるようです。
こうして意見を出しているうちに、自分との対話が進み、自分が何者なのかが嫌でもわかってくるのではないでしょうか。
クラブ活動はいろんな種類を毎日取っ替え引っ替えやらせたりすることが多いです。今日はラグビー、明日はヴァイオリン、明後日はプログラミング、といった具合に一人の子がいろんなことを体験するんですね。学校でもさまざまなコンテストがあり、こうやって、自分の「やりたいこと」を見出していきます。
マレーシアの子供の同級生の中学生を見ていると、皆やりたいことが割と明確になっている。
例えば、ある中学生は自分のアプリをストアにアップロードし、そのWikipediaを自分で作ったりしてます。
統計を取ったわけじゃないんですが、中学卒業辺りで既に「やりたいこと」「自分の適性」がわかっている人が多い感じがするんですよね。
インターナショナル・スクールで学ぶ日本人の子たちも同様で、「俺はこれをやりたい」という個性が際立ってきます。批判的思考を繰り返しているうちに、学校教育自体から飛び出す子供も少なくなく、ホームスクールやフリースクールも盛んです。
実は日本もそうで、今後は「考える教育」「答えのない教育」に大きくシフトしていくことが、言われていますね。つまり、若い世代はこれから日本でもこうなっていく、と言うことです。
今からでも自分を模索してみよう
ではそういう教育を受けて来なかったらダメか、というとそんなことはないです。
20代、30代になってから自分のやることを模索してもいいわけですし、私の周囲だと50代で人生をやり直す人だっています。人生は長いですからね。
今は幸い副業も盛んですし、前述のようにインターネットには教材がゴロゴロ転がっています。以前でしたら、プログラミングや語学など、お金を出して学校で学ばなくてはならなかったようなことが、自習できる環境が整っているのです。
それからもう一つ。人生の早い時期に、英語を身につけることをオススメします。英語の世界は広いです。友達が世界に広がると、見える視野がワッと広がるからです。英語でネットが検索できるようになると、日本では考えもつかなかった職業が存在していることに気づいたりします。数年前のe-sportsのプロフェッショナルやGrabのドライバーなんて、日本では存在すら知られていなかった時期もありましたからね。
皆さんの人生が良い方向に行くことを願っています。
ではまた。